メインシンボル!!
源氏の嫡男の鎧の着初めで使われたという「源太が産衣(げんたがうぶきぬ)の兜」がモデル
平治の乱で源頼朝が着用したと伝わる。この時、頼朝は満12歳。兜正面の意匠は獅子。
迅速・勇猛の象徴として名だたる名将に愛された意匠。また兜の一部を市原市の「市」とし、装飾に綱引きの綱をモチーフとしている。
東地区
◎飯香岡八幡宮…市原市八幡宿(市原地区) 源氏復興に協力した下総の豪族千葉氏の案内により頼朝が祈願に訪れた神社。「枯れずに根付けば幸あり」と頼朝が銀杏の木を逆さにして植え、見事成長した【逆さ銀杏】が境内にあり、逆境打破のシンボルとしてパワースポットにもなっている。
◎金太郎伝説…潤井戸堰(市津地区文化3年(1806)曲亭馬琴がこの地を舞台にして金時(童話 金太郎のモデル)が悪漢を退治する小説「四天王剿盗異録」を著す。坂田金時は、源頼光に仕えた四天王の一人で。その頼光の使ったとされる名刀「 髭切」は時を経て頼朝に伝わり、源平合戦において源氏の勝利を導くこととなる。
西地区
姉崎神社…市原市姉崎 頼朝が武運長久を祈願し馬揃え(軍事パレード)を行ったとされる。これにより姉崎神社では 【流鏑馬(やぶさめ)神事】が行われるようになった。
※現在は行っていない。
◎切替家…市原市立野 上総国府攻略の作戦をたてる際に立ち寄った立野村の豪農、立野長右衛門宅。裏山の竹を切り、【源氏の旗竿をあらたに切り替えた】ことから頼朝より「切替」の姓を与えられた。
南地区
手綱川…市原市佐是(南総地区) 佐是付近の養老川の一部は別名「手綱川」とも呼ばれていたと伝わる。ここは頼朝が雨にぬれた 【手綱】を洗ったことからそうよばれるようになった。市原高校の西側には「手綱橋」という 名称の橋が今もなお残っている。
養老山立國寺…市原市戸面(加茂地区) 養老渓谷の美しい自然の中に静かにたたずむ養老山立國寺は、頼朝が再起をかけ祈願した 【出世観音】として知られ、開運招福の観音様、祈祷の名刹として古くから親しまれている。
北地区
大宮神社…市原市五井 戦勝祈願をしたとされる神社。現在も残る御神木の大銀杏は、源氏再興を占い頼朝が植えたと 伝えられている。またこの銀杏は市原市より保護樹木指定第一号に認定されている。